2017年6月23日金曜日

憲法についての記事:元最高裁判事浜田邦夫さん(2016年6月21日毎日新聞より)

元最高裁判事浜田さん。
 「どんな社会で暮らしたいかを想像してください。自分の幸福を自分で決められる社会か、個人より組織や国家が大切とされ、他人に人生を仕切られる社会か。大切なのは空気を読まず、自分の意見を持つこと。憲法を全く変えるなとは思いませんが、良いものは良い。やたら『対案を出せ』と言う人がいますが、良いものに『対案』はいりません」


この国はどこへ行こうとしているのか 試練の憲法 元最高裁判事・浜田邦夫さん

元最高裁判事・浜田邦夫氏=望月亮一撮影

沈黙と同調、暗闇への道

 皇居の緑がまぶしい。梅雨の合間の、わずかな晴天である。
 東京・日比谷。窓越しに緑を望むビルの一室で、長年の沈黙を破った元最高裁判事に尋ねた。なぜ今、政治について語り始めたのですか?
 「もう黙っていられない。最高裁判事OBは、現役裁判官に影響を与えるような言動はすべきじゃない。これが暗黙のルールです。でも、現政権が民主社会の土台を崩そうとしている今、発言しないのは良心が許さなかった……」
 安倍晋三政権を最初に公の場で批判したのは昨年7月9日。テレビ朝日「報道ステーション」のインタビューで、安全保障関連法を「違憲で(憲法が権力を縛る)立憲主義に反する」と断じた。この年の9月15日の参院公聴会では、憲法が禁じていたはずの集団的自衛権行使について、「限定的なら合憲」との「新解釈」を持ち出した安倍政権に「字義を操り、法文の意図とかけ離れたことを主張する『法匪(ほうひ)』(法を悪用する者)」と激しい言葉で怒りをぶつけた。
 「10年前、『戦後レジームからの脱却』を掲げた第1次安倍政権が登場した時も、現憲法の枠組みを廃棄したいのか、と心配になりました。あの時は1年で退陣しましたが……」
 そして今。再び政権の座を得た安倍首相の悲願が憲法改正である。「自民党の改憲草案を見てください。9条改正もそうですが、さらに深刻なのは首相周辺が必要性を吹聴する『緊急事態条項』です。内閣が法律と同等の政令をいくらでも出せるし、望めば選挙もせず政権に居座れる。こんなひどい条文は明治憲法にもありません。他の条文でも国民を縛る義務規定を一気に増やした。悪法としか言いようがない」
 でも現実はどうだろう。毎日新聞の6月の世論調査では、安倍政権の支持率は42%と高い。元判事は手元に目線を落とした。
 「『強い者』に逆らわない、大勢に流されるのをよしとする風潮が広がっているのか……。法曹界にも沈黙する人がいますし」。存命する最高裁判事経験者のうち、他に安保法や自民党改憲草案について、公に発言したのは那須弘平氏と山口繁元長官らごくわずからしい。
 「暗黙のルールを固守しているのか、発言すれば自分や周囲の不利益になるとお考えなのか、定かじゃない。ただこんなご時世ですから、もっと発言する人が出てくる、と思っていました」
 実際、安倍政権に異を唱えたある判事OBは浜田さんに「ひんしゅくを買っている」と漏らしたという。「ならば安倍首相を支持し、改憲運動の先頭に立つ元最高裁長官が問題にされないのはなぜでしょう」。安倍政権に近い保守系団体「日本会議」の三好達名誉会長のことだ。
 最高裁判事は弁護士、裁判官、外務省などの行政経験者、学識経験者の中から政権が選任する。政権の意に沿わない発言をすれば今後、出身の弁護士会や官公庁から判事が選ばれないのでは−−。保身と言えばそれまでだが、それが杞憂(きゆう)とも言い切れない現実がすでにある。
 「法案が憲法に反しないかを審査する内閣法制局の長官を、自分の意に沿う憲法解釈をする人物に交代させたのが安倍首相です。『憲法の番人』たる最高裁人事で、同じことが起きない保証はないんです」
 法曹界だけではない。企業も沈黙したままと見ている。
 「私は判事になる前、弁護士として長年、企業法務を担当し、国際商取引の現場で現憲法がいかに日本企業を助けているかを肌で感じてきた。これが壊れれば企業の大きな不利益になるはずですが……」。どの国の戦争にも加担しないとうたった9条と憲法があるからこそ日本企業が好感を持たれ、海外進出に有利に働いてきたという。
 「企業も安倍政権に気兼ねしているのでしょうか。でも考えてみてください。仕事や地位、家族を守るために沈黙し、保身に走ればどうなるか」。メディアを含め、みんなが口をつぐんだ結果、仕事や会社はおろか、国が事実上滅び、最愛の家族を失うことになったのは、ほんの70年前のことではなかったか。
 終戦時は9歳。1945年のちょうど今ごろ、6月19日深夜に当時住んでいた静岡市が空襲に遭った。犠牲者1900人超。浜田少年も、上半身が吹き飛ばされた遺体を目にした。
 多くの人が犠牲になった日本は戦後、民主主義の道を歩み始めたはずだ。でも、浜田さんの認識は違う。「米国暮らしや、海外企業とやりとりしているうちに気づきました。日本では自分の意見を持ち、意見の違いを認め合う本当の民主主義が育っていない、と」
 例えば子どもへのアイスクリームの与え方にも違いが表れる。米国では、子どもはトッピングを自分で選ぶ。浜田さんの経験で言えば、日本は親が黙って買い与えることが多い。そもそも親や教師、大人に従うことが「良い子」とされ、独自の意見を持つことは歓迎されない。学校では、クラスの多数派に同調しないと「空気を読まない」「和を乱す」と言われる。
 「それがそのまま大人の社会や組織につながる。私はそれがイヤで弁護士になったんですが、真偽はともかく、こんな話も伝わっています」
 最高裁の小法廷は5人の判事の合議制だ。ある時、意見が2対2で割れ、意見を求められた最後の1人は「多数意見に従います」と繰り返した−−という。
 「目先の利益と保身に走り、同調して異を唱えない。外見はまだ民主国家の装いですが、中身は確実に全体主義国家に近づいています」。浜田さんが一呼吸置いた時、窓外で救急車のサイレンの音が高く、長く響いた。
 愚問と知りつつ聞いてみた。社会の流れを変える処方箋はあるのだろうか。温和な目が、くわっと見開かれた。
 「どんな社会で暮らしたいかを想像してください。自分の幸福を自分で決められる社会か、個人より組織や国家が大切とされ、他人に人生を仕切られる社会か。大切なのは空気を読まず、自分の意見を持つこと。憲法を全く変えるなとは思いませんが、良いものは良い。やたら『対案を出せ』と言う人がいますが、良いものに『対案』はいりません」
 元判事は「私の原点です」と言い添え、古い記念切手のシートのコピーを取り出した。現物は自宅にあるという。47年5月3日、憲法施行を記念して発行された。シートに憲法前文の一部とその英訳が刷られ、切手には国会議事堂をバックに、ひしと抱きあう母子が描かれた。当時、日比谷のこの辺りからはまだ、廃虚と焼け野原が望めた。
 元判事と別れ、日比谷を歩いた。つかの間の晴天はすでに去り、空には重い雲が垂れこめていた。【吉井理記】=「試練の憲法」は今回で終了します

 ■人物略歴

はまだ・くにお

 1936年生まれ。東大法学部卒。59年に司法試験合格。弁護士として国際金融法務に携わる。第二東京弁護士会副会長などを経て2001〜06年最高裁判事。現在は全国各地で憲法関連の講演活動を続ける。

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